無職で誰とも会わない生活を2年近く続ける50代半ばだが、今が一番楽しい。
人生がつまらなくなる最大の理由は「感情が動かなくなるから」だ。そして、その原因は ①新しいことに挑戦しない ②満たされてしまう ③魅力的な人との出会いが減る の3つにある。
筆者の云う人生をつまらなくする3条件を現在進行形で全て実行しているが、今が一番楽しい。
今までの人生よりも、今が一番自分の人生を生きていると実感している。
確かに感情が動かないと楽しいとかつまらないとか辛いとかはないだろう。
ってうか、これはタダの言葉遊びだw
レトリックは置くとして、感情が動かないのは選択権が自分にないから。
自分が自分のために自分で選んだ人生でないと、それが明示・黙示関わらず思っている限り、人生が楽しくなるはずがない。
自分で色々と考えられるようになった9歳頃からリタイアするまで40年以上、ボクの人生はずーっと退屈でつまらなかった。
人生の岐路で選択肢は常に複数あったが、その選択肢は全てを網羅していたことは一度もなかったし、その限られた選択肢もどちらかと言えばボクが選ぶ側ではなく選ばれる側だった。
進学のための受験先もボク自身で選んだが、選ばれるか否かは常に先方が判断する。
進学にはお金が掛かるが、そのお金は親が出すので親の顔色を窺ってもいたのだろう。(親は進学先に何も云わなかったけれども)
その後の司法試験受験と断念、失意の中の就職、2回の転職、全て自分で決めた。
自分で決めはしたものの、その選択肢は他の何かの目的のためにその範囲が縛られており範囲は限定的だった。(当時の選択を後悔している訳ではない。念の為)
自由に考え、選び、動いている様で、実はそうではなかった。
『目に見えない何かに縛られている』感覚が常にあった。
その何かが、常識なのか、経験なのか、それ等に立脚した社会性なのか、当時は全く判らなかった。というより意識すらできなかった。
全て自由意思で選んでいると思っていた。
拘束具は常に変化しつつ、流動的に幾つかの『何か』に縛られていたのだと思う。
即ち、自由意思で判断・選択しているつもりでも、眼に見えない『何か』に手足と思考を搦め捕られていたと思う。
人生を本当に楽しくするためには、全ての選択肢を自分自身が持っていなければならない。
それに気付いたのは極めて最近。
ボクが本当に自由になったのは、早期リタイアするのに金銭的にそれなり以上に余裕があると認識した時、いや、辞めると決めたその瞬間だったと思う。(退職を申し出る1年以上前)
自分の中にある良識(≒道徳観)以外の、世間のしがらみ・常識・仲間・同僚・家族その他諸々の全ての人間関係を含めた幾つもの『何か』を断ち切った瞬間に初めてボクの人生が始まったような気がした。
それから、実際の退職まで1年強の職場での生活は退屈でつまらなかったが、それはもうどうでも良い。
23年近い労働者人生の同僚の顔も名前も既に忘却の彼方。
小中高大学時代の友人とはほぼ完璧に交流がない。FB友に高校時代の同級生が1人いるのみ。しかも彼女は東欧在住。一生会うことはないと思う。
これがボクの選択した成果。
ダラダラとした日々の生活スタイルも全てボクがボクだけのために選んだもの。
誰かに咎められることもない。(勿論、社会良識の範囲内に収まっている)
これが楽しくない訳がない。
思い付きを勢いで書いたので、取り留めなく、判りづらい文章で恐縮だが、こう云うのは思いついた時に書いておかないとね!w
読者は20人もいないだろうし、そもそもここはボクの覚え書きに過ぎないしね。