It's My Life

ひっそり

趣味とAdditional Time(若しくはSudden Death)

退職日は1月半も先ですが、有給休暇消化期間のため実質的なリタイヤ生活に入ってます。

r42.hatenablog.com

現在は通院等もあって、休暇開始後すぐに昼夜逆転の自堕落な生活になると思っていたのですが、ちゃんと朝起きて夜に寝る生活を送っています。

しかし、趣味の模型製作は順調には進んでいません。

室内に堆く積まれたプラモデル等の山(通称マウンテンサイクル)は依然高いままです。

最早、ボクが死ぬまでには作り切れない程になっています(呆)

 

さて、来月中には転居すると云う事もあり、ボクにとって重要でないモノは処分しています。

早期リタイヤは数年前から決めていたものの、6月末退職を決めたのは比較的最近の昨年3月。

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そこで、昨年のGWから「休日・祝日に要らないモノ・不要なモノを処分しよう」キャンペーンを継続して実施しています。処分は原則1日1アイテムです。

ベッド処分もその一環。

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勿論、このキャンペーンには聖域はなく、組む気満々で購入した模型も処分しています。

(リサイクルショップやメルカリ等で売却した方が小銭とはいえ戻ってくるので金銭的には良いのですが、面倒くさいのと踏ん切りがつかなくなるので分別してゴミとして処分しています)

しかし、150日近くキャンペーン日が有ったハズですが、未だに室内には色々なものが積み重なっています。

 

で、そんな時に目に付いたこのエントリ。

blog.tinect.jp

オタクは、あんまり長生きしないほうがいいのかもしれない。

上述の通り、現在もしくは将来の楽しみのために集めたモノも聖域なく処分しているボクからすれば『自分の趣味の自己評価と世間一般から見た評価(≒買取額)を一緒くたにするのは違うんじゃない?』と言った思いしかありません。

「戦争とか飢饉じゃなくて、自分が好きだったコンテンツの価値が下がっていくのを見届けて死んでいけることこそ、オタクとしての僥倖」なのだろうか

他者からの評価を気にしすぎるから、こんな自己否定的な考えに囚われるんじゃないかな?

「オタクの終活」を考えるのであれば、「終わらせる」ことを考える前にもっと「自分のため」に生きた方が良いでしょう。

「オタクの終活」を他人からの評価を気にして行うなんて本末転倒。

そもそもコレクション趣味は興味ない人から見れば、場所塞ぎのゴミを集めてるのと一緒。

困ったことに自分が興味を失ったら、自分から見ても以前の自分が集めたゴミに過ぎません。

自分にはもう必要ないと思ったら、バサッリと処分したら良いんです。

それまでに掛けた手間や時間、そしてお金はただのサンクコストに過ぎません。