It's My Life

ひっそり

下天の内をくらぶれば

r42.hatenablog.com

あれから2年半以上経過していますが、漸く思い立ったので、我が人生を振り返って見ましょう。

■誕生~幼稚園

物心ついたのは3歳ぐらいでしょうか。

ボクのもっとも古い記憶は、当時住んでいた家の窓ガラスをたたき割ってガラスの破片で左腕を15cm程切る瞬間です。

3~4歳児の15cmは前腕よりも長い。左腕は血まみれでドクドクと血が流れていき、父親が水道で血とガラスを洗い流してくれていた記憶があります。

それだけの大怪我にも関わらず病院に連れて行ってもらえず、自然治癒。

不格好な傷が今も左前腕に残っています。

普通なら救急車を呼ぶと思うんですが、なんでだろう?

また、幼稚園後半ぐらいからエレクトーンを小学1年の学年末まで習ってました。

音楽の才能は全くなく、練習も嫌いだったこともあり、全く身に付きませんでした。

でも、今でもト音記号は綺麗に掛けますw

■小学生(低学年)

エレクトーンをやめて剣道開始。当時仲の良かった友達に誘われたからという単純な理由。

同時期に別の友達に算盤も誘われましたが、剣道にしました。

並行して習っとけばよかったと、今は思いますが、当時のボクには二者択一でした。

今でも気を付けないとこうなりますが、ボクの思考パターンは「0か100か」になりがちです。

■小学生(高学年)

4年生の秋ごろに父が戸建を買ったため転居。

小学校の学区が1つ隣に変ったため転校。

いじめられましたね。

いい思い出は全くありません。

■中学校

中学受験をしました。

国立大学付属は試験には合格しましたが、抽選で落選。それ以外の私立は不合格。

要は全滅です。

塾でボクより成績の悪い同級生たちは軒並み受かってました。

試験に弱いのは当時からだったようです。この時に気付いていれば別の人生を歩めたのにとは思います。

そんな訳で地元の公立中学校に進学。

2年で親の転勤で東九州の田舎町の中学校へ。

馴染めませんでした。

■高校

地元の公立高校に進学。帰宅部

それでも学校まで結構な距離の自転車通学だったので、体力はソコソコありました。

成績は上位5%でしたが、まあ、田舎の公立高校ですからねww

関西の宮廷を受験するも不合格。

大阪で1年浪人しましたが、やはり不合格。

で、関関同立の何処か(法学部)に進学しました。

■大学

大学に入ってみると、ボクの様な滑り止めが1/3、第一希望が1/3、スポ選や学校推薦が1/3でした。

入学から2回生くらいまでは楽しかったですね。

彼女出来たり、同期とツーリングに行ったりして。

3回生からは司法試験の勉強を始め、一般的な受験生並みの時間机にしがみついてました。

一般的な学生の勉強時間では全然足りなかったんですよね、今思えば┐(´д`)┌ヤレヤレ

それでも、大学受験時よりも圧倒的に勉強したと思います。

大学受験時にあれ程勉強してれば第一志望ぐらい受かったんちゃうかな?w

就職活動はせず、そのまま司法試験受験浪人生活へ。

滑り止めだったこともあり、母校愛ゼロ。

故に卒業式にすら出てません。

当日は何してたんだろう?勉強してたのかな?

数か月後、択一試験後だったかな?学生課に卒業証書のみ受け取りに行きました。

■司法試験浪人

択一には受かるものの、論文はボロボロ。

26歳ころには心折れてましたね。

バイトをちょいちょいしながら勉強してましたが、どちらかというと司試よりも国家公務員試験対策をしてました。お金を節約するためテキストは新卒で公務員になった大学同期に貰いました。

国二は受かったんですが任官せず。どう考えても公務員に向いてませんww

■無職(ニート)

心折れても司法試験の勉強は一応続けてました。

でも、勉強時間は平均4時間程度と非常に少ない。モラトリアム全開でした。

最後の年は択一すら不合格だったし。

多少の仕送りは有ったものの減額されていたので生活はかなり縮小傾向。家賃2万円少々の風呂なしアパートに引っ越しました。

あることをきっかけに、京都市内の広告代理店でバイトをすることに。

(この"きっかけ"については別に書きます、多分)

そのバイトを断続的に続けて、30歳になる直前に社員にしてもらいました。

■代理店時代

最初は総務で主に経理関係をやってました。

2年半ほどで営業に異動になり、3年ほど営業をやってました。

売り物は主にA新聞地方版の記事下広告(買切枠)でした。

飛び込み営業を除けば、営業職の仕事は面白くありませんでした。

効果がはっきりと判らないモノを売るのはボクの中で不誠実な気がして、ノルマギリギリ(半分はクリアできてなかったw)にして、極力サボってました。

また、営業になって暫くした頃から社労士の勉強を開始したので、仕事時間でもコッソリ家に帰って勉強することもありました。

それでも暇なのでブックオフで延々立ち読みなんかもしてましたねw

今みたいに、GPSで居場所が判る様になってたら無理でしたww

社労士には1年半で合格。御礼奉公として更に1年働いて転職しました。

転職先は東証一部上場の大手ゲーム会社。大手と云っても業界6位(当時)でしたが。

他にも数社合格しましたが、職場環境が自分に合いそうにない、ネームバリューがない等々色々あってゲーム会社にしました。要は合格した中で判り易く有名だったってだけです。

転職先を教えた後の同僚たちの態度が急に変わっておもしろかったですね。

この時学びました。他人は人を見るのではなく肩書を見るのだと。

■ゲーム会社

社労士資格を引っ提げての転職なので人事に配属されました。

具体的には社内人事関連の事務と管理部門等の新卒・中途採用が仕事でした。

ほぼほぼ引継ぎがなく、行き当たりばったりです。

というのも、前任者はマニュアルの様なものは作っておらず口伝。

その前任者も着任から半年、しかもボクの入社後2週間で退職と仕事に慣れるには時間が無さ過ぎる。

で、癇癪持ちの女性上司が最悪でした。

女性の管理職全般なのがダメだと云う訳では勿論なく、彼女の新卒入社時のメンターが今で言うパワハラモラハラ&ド根性精神論なクソ野郎だったようで、そのやり方をそのまま引き継いでいた様で、この女もパワハラモラハラ&ド根性精神論なクソ野郎でした。

ボクの前任者も、その前も、その前も同じ様にパワハラかましてくれたおかげでボクのポジションは半年に1回退職者が出ていました。普通は2回も続けば指導が悪かったと気付きそうなものですが、気付かず何度も繰り返す時点で管理職として、いや人としてダメですね。

ゲーム会社から転職して1年後くらいに新宿駅ホームをこのアホ上司が泣きながら歩いているのを見ました。夜なら判るけど、昼間にですよ。情緒不安定すぎるやろw

閑話休題。新卒採用がひと段落した頃から転職活動開始。

2箇月ほどで某国営企業に決めて転職しました。

他にも最終面接結果待ちの会社が2社ありましたが、勤務地が東京且つ一番仕事が楽そうという理由で今の会社にしました。

■某国営企業

2005年10月1日付で採用となりました。

職種は人事(採用・教育)でしたが、何故か労務(福利厚生・給与計算等)に。

うーん、話と違うやん!

まあ、そんなに仕事は大変じゃなかったし、社労士的な経験は出来たので、クレームは出しませんでしたが。

ボクはキッチリとチリを付けるような細かい仕事・作業が苦手です。

案の定、慣れるまでは多くのミスがありましたねぇ(呆)

採用面接時にちゃんと言ったんだけどなぁ。

1年半後に採用時に就くはずだった人事(採用・教育)へと職種変更。

同時期に経営大学院で勉強を始めたこともあり、ここからの1年は楽しかったですね。

で、本社で計2年半ほど働いて都内の工場に異動になりました。

異動理由は某省出向の課長(国三)とソリが合わなかったため。

まあ、ボクは国二合格者ですから、彼的にもやり辛かったでしょう。

しかも奴は恐ろいまでのバカでボクもウンザリしてましたしw

異動先では広報がメインで他に施設管理(敷地周り)したね。うん、簡単なオシゴトでした。週2で大丈夫な仕事を5日に薄く延ばしてました。

そこで3年間ダラダラと働いて、2011年4月に愛知県の工場(現職場)に異動。

東京も飽きてたし、仕事もマンネリだったこともあって転職活動を始めた頃でした。しかし、ご存知の通り同年3月11日に大震災があって転職活動は全部なくなりました。そんなの時の異動ですから喜んで行きましたよ。

同僚たちには東京から下ることを気の毒に思われた様で、何人にも慰められましたが。元々田舎者だし、東京は5年も住めば十分ですw

で、今の職場でも広報がメインで他に施設管理が仕事でした。

まあ、東京の工場と同様で退屈ですけど、特に頑張らなくてもそれなりに給料もらえるし、ソコソコ貯まったらリタイヤしようと思い始めたのもこの頃です。この会社で出世しようと云う意欲も全然なかったしね。

だがしかし、流石にこの自動車の街に12年以上もいることになるとは思いもしませんでしたが。

2014年に大腸がん(ステージ0)になり、その経過観察期間中にあった異動の内々示を断ったことが異動できなかった原因だった様です。当時の人事課長(現人事部長)と最近話す機会があったのですが「あの時チャンスを逃した君が悪い」と言われました(呆)

我が人生に大きな目的がある訳でもないし、色々と考えた結果、早期退職計画を具体化することにしました。

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 ※中目標に記述あり。

2018年末に2022年6月末に退職することを決めたものの、実際に辞めるまでに時間が掛ったのは、無職になっても生きていけるのかのシミュレーションを何度かしていたからです。(この経過もブログにしとけばよかったw)

具体的には10日以上の長期休暇を取り、その間誰とも話さず生活しても苦じゃないか等々です。

ボクはよく話すし、コミュ力も高い方なので、少々心配してたんですが、買物に行った先で少々の会話らしきものがあれば大丈夫そうだと云うことを確認して2022年6月末に退職することを決意しました。

しかし、税金や健保等を考えると年末退職が一番都合が良いと云うことに気付き、2022年末に退職日を変更。

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2021年春に大台に載り、アーリーリタイヤが確定しました。

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その後、転居費用等少々のお金が足りないと云うことに気付き、更に半年伸ばすことにしました。

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上述の通り、年末の方が色々と都合がイイのですが、流石にもう心が持ちません!!

 

と、所属ベースで時系列通りに振り返ってみました。

今後は趣味や資格、そして人間関係ベースでボクの心境を中心に顧みてみたいと思います。

恐らくそちらの方がボク自身の人生を振り返るには有効でしょう。